佃七緒・熊田悠夢「入れ子-露光-echoing echoes」展覧会レビュー:遠山きなり

会場:シェアスペース&キッチン ももしき(明日香村/奈良)
会期:2023.10.27-11.5

遠山きなり

いくつもの異なる時間や場所やイメージを往来するうち、身体と思考が緩まって軽やかになる。そうしてできた隙に、情景が立ち上がり、風が抜ける、そんな体感を得た展覧会だった。

観光客で賑わう飛鳥駅から、人流とは逆に住宅街の小道を進む。2名の美術家、佃七緒と熊田悠夢が企画・出展する本展の会場は古民家で、周辺は生活の垣間見える家々や小さな社が立ち並ぶ。庭を抜けて引戸を入り、靴を脱いだ廊下の先、8畳の畳と板間が一体となった和室に作品が点在していた。手描きの会場案内図と、本展のために制作された冊子<「観る」手引き>を片手に巡ろうとするが、どうもすんなりと観はじめることができない。佃の陶作品とドローイング、熊田の木彫の20点以上が混在し、畳や床の間に置かれたものや、天井からワイヤーで吊られたものもある。冊子の作品掲載順と陳列順は異なり、作品が制作された場所も時期も複数存在する。順路や規則性を見出そうとすることをやめ、気の向くままじっくりと観ていくことにした。


佃は2014年コロンビアにて行った滞在制作に応答している。当時、現地の人々から聞いた昔話や思い出話に着想を得てドローイングを描き、それを設計図に陶作品を制作した。本展ではコロンビアから持ち帰った作品と、帰国後に佃自身が再制作した「レプリカ」が混在している。レプリカを制作することは、時間の経過による変化を想像して過去と接続することであると同時に、あくまでも別物であるという隔たりに向き合う行為でもあるだろう。また冊子の中には2014年のドローイングが掲載され、会場には同様のモチーフで描き下ろした新作ドローイングが展示されている。

ハンドアウトには作品のもとになったエピソードが台詞交じりの文章で記載されており、その断片的な文章がそれぞれの作品と対応している。作品にタイトルをつけるというよりは、語りが先にあり、挿絵のように作品を充てていったかのようだ。切り落とされた指とはさみが旅をする話や「私の母はね、崖下に横たわっていたの。(略)」など、言葉の連なりは抽象的なもので、陶の重量感や手びねりで成形し素焼きした無骨さとは対照的に、イメージは軽快に飛躍する。

(写真右:熊田悠夢)

熊田は一貫して、自然物をモチーフとした木彫作品を制作する。風や音が喚起され、原風景へと結びつくような作品が特徴だ。頻繁に登場するモチーフに「丘」がある。《HILL SCOPE》は両手に収まる大きさの箱の中に丘陵が施されており、奥の面はガラスがはめ込まれているため現実の風景が背景となる。双眼鏡のように覗きこむと、吹き抜ける風を受けている気分になる装置だ。レリーフ《海の呼吸》からはさざ波を起こす風、木製レコード《起伏のムーヴメント》からはガラス製の棒が盤面の丘陵をなぞる音が聴こえるようだ。自分が豆粒サイズになって丘に立つ感覚と同時に、風や音と同化して雄大な大地の起伏や海面を撫でる感覚にもなり、人間のスケールや時間軸を超えた自然への言祝ぎを感じる。出展作品は制作された時も場所もさまざまで、熊田の記憶を通じてつながり再構成されるとともに、自然物のもつ大らかな時空間が作品同士と鑑賞者をつないでいた。

冊子<「観る」手引き>も重要な役割を担っていた。見開きごとにどちらかの作家が担当し、明日香村のどこかで撮影した写真、作品写真1~2枚、一言で構成され、短いテキストが添えられているものもある。写真は種々の紙に別途印刷したものを貼り付けているため、指先からは写真に呼応する質感を受け取りつつ、折り重なるイメージを丁寧にめくって確認していく。風景と自身の作品に何らかのつながりを見出した作家の思考を追体験するかのようだ。タイトルのような言葉が付されており、ページそのものが作品であるという見方もできる。

そもそも両名の出会いは、明日香村教育委員会が主催するアーティスト・イン・レジデンスプログラム「飛鳥アートヴィレッジ2019」だ。熊田は大学院修了後の約4年間、明日香村を活動拠点とする中でスタッフとして携わり、佃は2か月間滞在制作を行った。行政が特定の作家を継続的に支援することは難しく、せっかくの縁がその場限りとなるケースも多い。今回のように土地や人との関係が持続して結実することは、稀有で喜ばしい事例と言える。

(写真:熊田悠夢)

本展における起点かつ帰着点となったのも、明日香村という土地だろう。奈良の中でも古代の記憶がとりわけ色濃く残る特殊な場所であるが、当然そこから続く営みの延長に現在がある。2名の作家もかつてこの地で生活し、離れていった人々である。作家の眼差しを通じて提示される明日香村の断片的な姿と、作家自らそれを見返す視線、今ここで作品を観る鑑賞者の視点、異国、フィクションとドキュメンタリー。様々に交錯する時間と場所を思考が転がることで、一見脈絡のないものにつながりを見出し、イメージが広がっていく。最初に戸惑いを抱いた要素の振れ幅の大きさは意図されたものであり、反響(echo)するうちに鑑賞者が軽やかな身体へとチューニングするよう秀逸に振り付けられていたのだ。会場を後にして改めて明日香を眺めたとき、見ている景色と誰かの記憶が溶け合うような心地よさを覚えた。

会場写真撮影:加藤菜々子(一部記載分を除く)

遠山きなり(とおやま きなり)
1994年東京都生まれ。セントラル・セント・マーチンズ パフォーマンス:デザイン&プラクティス卒業。2018~21年京都芸術センター アートコーディネーターを経て、2021年より奈良県なら歴史芸術文化村 芸術文化係にてアートコーディネーター。アーティストを招聘して制作・発表を行う「文化村クリエイション」の企画・運営を担当。